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テレビから生まれた流行
2000年代



ここでは、2000年代にテレビから生まれた流行語をご紹介します。ミレニアムと呼ばれた2000年以降は、日本経済が不況により低迷した時代が続きましたが、「ITバブル」という言葉が生まれたように、ITという新たな産業が急成長した時代でもありました。

新たな価値観を生んだ2000年代前半

新たな価値観を生んだ2000年代前半

バブル崩壊後、長い不況を経験することになる2000年代の日本社会は、暗い世相を脱しようとする流行が生まれていきます。2001年には、「自民党をぶっ壊す!」をスローガンにした小泉純一郎さんが首相となり、小泉ブームが起きました。小泉首相はさまざまな場面でテレビ・メディアを上手に利用し、世論を味方につけていきました。また、01年にはNTT「iモード」がサービスを開始。広末涼子さんらをCMに起用し、圧倒的なシェアを誇りました。また、お笑いブームを巻き起こした「M-1」グランプリが開催、中川家が初代王者となりました。2002年は、サッカーワールドカップ日韓大会が開催され、日本代表がW杯で初勝利したロシア戦では平均視聴率66.1%という驚異的な数字を記録し、日本中が歓喜しました。これは2013年現在、サッカー中継では史上最高の視聴率となっており、「W杯」は流行語大賞を受賞しました。2003年になると、第1次韓流ブームが到来。ドラマ「冬のソナタ」がNHKのBS2で放送されるや瞬く間に人気が上昇。「冬ソナ」ブームが起き、これまで地上波放送が中心だった時代からBS放送の存在もクローズアップされる時代へと移ってきました。ドラマではフジテレビの「僕の生きる道」の主題歌である「世界に1つだけの花」が257万枚の大ヒットを記録、その後の音楽市場がダウンロード中心となる前の、CD売り上げにおける大ヒットとなりました。2000年代前半は、これまでの価値観を打ち破るような出来事が多く、テレビ視聴の仕方も2003年のデジタル放送が開始されることで大きく変わりました。

2000年代後半のテレビはスポーツ選手が大活躍!

2000年代後半のテレビはスポーツ選手が大活躍!

2000年代後半はスポーツの時代と言われるほど、日本人選手が海外で目覚しい成果を残した時代でもあります。テレビで日本人選手の活躍を見ようと、深夜まで起きている人も多くいました。2004年にはシアトルマリナーズのイチロー選手がメジャーの年間最多安打262安打を記録、スポーツ番組、ニュース番組など各局で報道され、日本中が祝福しました。また、同年アテネ・オリンピックでは、金メダル16個、総計37個(当時過去最高)のメダルを獲得し日本中がテレビに釘付けとなりました。また、ゴルフのテレビ視聴率を2桁に乗せたとして注目された、宮里藍さんは2005年に史上最年少記録を次々と樹立、米国への布石を打ちました。2006年2月にはトリノ・オリンピックで荒川静香さんが、フィギュアスケートで日本人初となる金メダルを獲得、3月にはワールドベースボールクラシックで日本が優勝しました。また、同年夏には高校野球選手権大会で早稲田実業駒大苫小牧の一戦に日本中が注目、高校野球では異例の瞬間最高視聴率37.1%を記録しました。2007年には、ゴルファーの石川遼選手が史上最年少優勝をアマチュアで飾るという快挙を達成しました。石川選手は2008年にプロデビューし、2009年には史上最年少の賞金王に輝き、マスターズ出場も日本人史上最年少記録を樹立するなど、テレビに引っ張りだことなりました。このように2000年代は日本人選手の世界で活躍する姿が非常に多くテレビに映し出されました。