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テレビで生中継された重大事件簿
「浅間山荘事件」



テレビの歴史は現代史を報道してきた歴史でもあります。ここでは、テレビで生中継された事件をテレビの視点から追い、衝撃的な事件史を振り返ります。ここでは、テレビ報道史上最高の視聴率を記録した「浅間山荘事件」をご紹介します。

連合赤軍とは

連合赤軍とは

浅間山荘事件は連合赤軍による人質立てこもり事件で、1972年2月19日から同28日まで続きました。連合赤軍とは、「世界革命戦争」を理念に掲げる共産主義同盟赤軍派と毛沢東思想を奉じる革命左派・京浜安保共闘が合流して結成されたテロリスト組織です。赤軍派と革命左派は互いの利害関係の一致から、1971年に同時軍事訓練を行なうなどして連合赤軍が結成されました。赤軍派は1969年から1972年にかけて、日本国内だけではなく海外にも衝撃を与える事件をたびたび起しました。

浅間山荘事件

連合赤軍は当時、銃砲店を襲って銃や弾薬を盗んだ罪で全国の警察が捜査していました。逃走中、権力闘争や「総括」と呼ばれる下部メンバーへのリンチ殺人などが横行し、組織が疲弊していた連合赤軍は最終的にメンバーが5人だけになっていました。潜伏していた群馬県の山中に捜査の足が及ぶと、連合赤軍は2月19日、軽井沢を逃走中に長野県県警に発見され銃撃戦に。追い詰められたメンバーは、浅間山荘の管理人の妻を人質に取り、立てこもりを開始しました。この時からテレビでは大々的にこの事件を報じ始めました。

日本全国民が見守った救出劇

浅間山荘は崖に立つ山荘だったため、警察の侵入が困難でした。また、当時、大寒波に見舞われていた軽井沢は零下15度という厳しい寒さが続いていたため、人質の救出は困難を極めました。連合赤軍は篭城したものの、要求や電話応対などは行なわず、発砲を続けました。警察側は電気のカットや催涙弾、放水などで犯人の疲労を狙っていましたが、連合赤軍は最後まで抵抗を続けました。さらに警察側は犯人の母親を現地に呼び、拡声器を使って説得に応じるように訴えたが、赤軍側は一切、応じることはありませんでした。警察では人質の人命救助はもとより、犯人を射殺しない方針で投降を求めましたが、一切警察の話に対応しなかったため、人質の安否などの情報が一切入らず、こう着状態が続きました。このこう着状態は9日間続き、人質の命が危険にさらされると判断した警察は2月28日、1トンの鉄球を吊り下げたクレーン車で山荘の破壊を開始、ガス弾や放水なども続けながら犯人を追い詰め、午後6時10分、犯人の全員逮捕、人質無事救出という形で幕を閉じました。

28日の模様はNHKおよび民放で放送され、報道中継史上最長となる10時間20分の中継が行なわれました。またNHK、民放をあわせた視聴率は89.7%と、国民のほぼ全員が見ているという報道史においても非常に大きな出来事でした。

この逮捕は、昭和30年ごろより続いた新左翼派による過激な暴動やテロ活動に終止符を打つこととなりました。また、事件により、死者3名(民間人1人を含む)、重軽傷者27名を出す惨事でもありました。