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テレビで生中継された重大事件簿
「三島由紀夫自決事件」



ここでは、世界的文豪の思想と行動が日本全国に衝撃を与えた「三島由紀夫自決事件」について、ご紹介します。

日米安保で揺れた70年

日米安保で揺れた70年

昭和を代表する日本文学作家・三島由紀夫は洗練された構成と耽美的な作風でノーベル文学賞候補に挙げられるほどの大作家でした。しかしながら、三島の晩年は政治や国防問題に傾注し、日本の国家やナショナリズムを模索し、政治色・国体論調を強めていきました。三島自身、1967年に自衛隊に体験入隊しています。三島事件が起きた1970年は、日米安全保障条約が初めて自動延長された年で、これを阻止しようと全共闘や新左翼による学生運動が全国的に広がった年でした。憲法9条を含めた日本国憲法の改正・安保破棄が叫ばれる時代であったため、三島由紀夫の思想と行動は非常に象徴的なものとなりました。

三島の思想

三島は大別すると3つの持論を主張していました。1つは「敗戦国日本の戦勝国への詫証文」と定義した憲法の改正、2つ目に、日本の自主防衛は国家としての基本的物理保障であるとする「自衛隊の国軍化」(自主防衛論)、3つ目に象徴天皇制を批判する「天皇・国体論」です。これらはつまり、日本国憲法の破棄または改正を意味しており、三島は高度経済成長していく当時の日本社会において、日本の伝統的道徳観や価値観、国家としての自尊心が失われていくことに非常な危機感を持っていた人でした。そのため、日本を守る存在である「自衛隊」の決起に期待を寄せていたようです。

事件の経緯

1968年、三島は憲法改正・自衛隊国軍化を標榜する民兵組織「楯の会」を結成します。この時期より何度も自衛隊への体験入隊を繰り返していた「楯の会」メンバーは、憲法改正に向けたクーデターなどを計画しており、クーデターのための武装も行なうようになります。1970年、三島は憲法改正の緊急性を主張し、主要メンバーと憲法改正草案の起草や武装蜂起の具体的な計画を練っていきます。

10分間の演説後、自決

そして、1970年11月25日、三島は「楯の会」の森田必勝ら4人とともに、自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪問しクーデターを決行、軍刀などを手に総監室を占拠しました。三島は、市ヶ谷駐屯地の自衛官を全員、本館前に集合させることを要求しました。これが、あまりにも有名な本館バルコニーでの「三島演説」へとつながります。

同日正午、三島は日の丸鉢巻姿で本館バルコニーに立ち、自衛隊による憲法改正のための決起を起すよう自衛官に訴えました。この模様はテレビでも中継されましたが、報道用のヘリコプターの騒音や自衛官らの野次・非難が飛び交い、自衛官らには三島の演説が届きませんでした。三島は約10分の演説の後、総監室に戻り、森田の介錯によって割腹自殺を行ないました。

事件後、海外にも名の轟く有名作家の自決事件に世界各国のメディアでも三島事件が報道されました。現在も三島の思想や行動についての研究がなされているほか、これまでにもドラマ化や映画化されてきました。