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テレビ局情報(春)

国民的作品が盛りだくさん!春スタートの各テレビ局放送アニメ一覧



長い期間に亘り視聴者から支持され国民的作品となったテレビアニメはたくさんあります。中でも1979年の春は、誰もが知っている有名長寿アニメが節目を迎えた時期。そんな春に始まったアニメ3作品に注目してみましょう。今もなお老若男女に親しまれている、各テレビ局放送のアニメの歴史やエピソードを一覧でご紹介します。

2つのテレビ局で放送!?国民的アニメ「ドラえもん」

2つのテレビ局で放送!?国民的アニメ「ドラえもん」

今では海外にもファンがおり、日本を代表するアニメになっている「ドラえもん」。「ドラえもん」の歴史を振り返ってみると、1973年(昭和48年)4月に日本テレビ系でアニメ化されていますが、諸般の事情により半年で放送が終了しています。1979年(昭和54年)4月に再びテレビ放送が始まりましたが、このときから現在までテレビ朝日での放送です。

「ドラえもん」と言えば金曜19時からですが放送開始当初から同じ時間だったわけではありません。朝8時30分~9時の時間帯だったこともあれば、夕方18時50分~19時20分の時間帯だったこともあります。最終的に金曜夜19時からになったのは「ドラえもん」放送10周年である1989年(平成1年)4月からです。現在でも金曜19時からの放送が続いていますが、ゴールデンタイムと呼ばれる時間帯にアニメを放送しているのは地上波4大キー局の中で唯一。この点からも「ドラえもん」人気の高さが窺えます。2005年(平成17年)からドラえもんの声優は水田わさびさんですが、1979年(昭和54年)~2005年(平成17年)までは大山のぶ代さんが務めていました。大山のぶ代さんがドラえもんに当てた声を聞いた藤子・F・不二雄さんが「ドラえもんってこういう声だったんですね」と言った有名なエピソードがあります。大山さんの卒業時には、ドラえもん以外のメインキャラクターの声優も一斉に交代しました。「ドラえもん25周年記念」と地デジハイビジョンへの移行という大きな節目に、大山さんが降板を申し出たところ、平均年齢が60代後半になっていた他の声優陣も後輩へのバトンタッチを決めたということです。

名古屋のテレビ局発!ロボットアニメ「機動戦士ガンダム」

リアルな戦争を扱ったロボットアニメという特異なジャンルでありながら、極めて高い知名度を誇る「機動戦士ガンダム」は、1979年(昭和54年)4月に名古屋テレビ他で放送されたのが始まり。1979年(昭和54年)~1980年(昭和55年)に放送された第1作は、「初代ガンダム」もしくは「ファーストガンダム」と呼ばれます。

今でこそ誰もがタイトルを知っている有名作になっていますが、放送当初は視聴率が伸び悩み、全52話の予定が43話で打ち切りとなりました。と言うのも、設定が革新的過ぎたために、すぐに理解されなかったからです。例えば、主人公「アムロ」は、いわゆる“正義の味方”というような分かりやすい描かれ方はされておらず、戦争に巻き込まれた一介の少年として登場。また、重要なキャラクターですら死んでしまうシリアスな展開は、当時のアニメの常識を越え、視聴者に強い衝撃を与えました。

打ち切りになってしまった「初代ガンダム」ですが、放送後半から人気は高まってきていたため、打ち切り後に熱心なファンから再放送を望む声が多く寄せられ、そこから劇場版公開やプラモデルブームを巻き起こし、社会現象にまでなっていったのです。

ロボットアニメに新しい風を吹き込んだ「ガンダム」は、ブームのあとにシリーズ化。「初代ガンダム」の制作を取り仕切っていた「富野由悠季(とみのよしゆき)監督」の手を離れ、他の監督が制作に携わることも増えていきます。こうして、派生作品が多数生まれ「ガンダム」はひとつのジャンルとまで言われるようにました。

ちなみに、富野監督が携わったキャラクターのセリフは、「ガンダム」ファンのみならず耳にする程多くの人に親しまれており、独特な言い回しのため、「富野節」と呼ばれています。

春にテレビ局に登場!大人気「アンパンマン」

幅広い層に愛されている「アンパンマン」が、初めてテレビで放送されたのは、1979年(昭和54年)3月。最もキャラクターが多いアニメとしてギネスに認定されたことでも知られています。そんな、言わずと知れた「アンパンマン」ですが、子どもたちから絶大な人気を得るまでに、過去に二度、キャラクターデザインを変えていたことはご存知でしょうか。

また、ブレイクまでに紆余曲折を経ていたのは、作者である「やなせたかし先生」も同じでした。やなせ先生は、戦争を経験しており、代表作になかなか恵まれない不遇時代を長く送っています。そのような不条理を目の当たりにして、本当の正義とはなんだろう?何のために生きているんだろう?という重い問いによって導き出したのが、自分の顔を分け与えて人を救うヒーロー「アンパンマン」だったのです。そのため、初期のアンパンマンには、どこか暗い雰囲気が漂っていました。その後、テイストを変えて子ども向けの絵本として出版したところ、大人には不評だったものの、子どもたちから確かな反応があったのです。こうして15年後にはアニメ化され、大ヒットしました。

放送当初からのオープニングソングである「アンパンマンのマーチ」も、やなせ先生による作詞。東日本大震災が発生し、皆が不安に陥っていた最中には、この曲のリクエストがラジオ局に殺到し、余震に怯える子どもたちを笑顔にするだけでなく、大人たちも勇気づけたと言われています。

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新生活がスタートする春。新しい家具、家電を求めて売り場は多くの人で賑わいます。その中でもテレビは必需品のひとつに数えられ、今や一家に一台はもちろん部屋に一台あることも珍しくありません。

1955年(昭和30年)春(4月1日) TBSテレビ設立

1955年(昭和30年)春(4月1日) TBSテレビ設立

日本には公共放送のNHKと、地上波民放キー局と言われる5局のテレビ局が存在。その中のひとつ、東京都港区赤坂に本社を置くテレビ局「TBSテレビ」は1955年(昭和30年)4月1日午前10時に本放送が開始されました。1953年(昭和28年)に開局した日本テレビに次ぐ二番目の民放放送局として誕生し、当時の名前は「ラジオ東京テレビ」です。

1963年(昭和38年)から1981年(昭和56年)まで19年もの間ゴールデンタイムの年間視聴率においてトップの座を維持し、日本の民間放送界をリードしてきたTBS。開局当初から力を入れていた報道番組やドラマ部門を得意とし、「報道のTBS」や「ドラマのTBS」とも呼ばれていました。

開局60周年を迎えた2015年(平成27年)には、「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」と題した5夜連続特別企画を放送。終戦から65年ということを受け、戦乱の時代に翻弄されつつも懸命に生きた日系移民たちの人生が描かれています。近年では様々なイベントが開催される赤坂サカスと合わせ、放送局のみならず東京の名所としても有名です。

1968年(昭和43年)春(4月) NHKカラー契約を創設

1950年(昭和25年)の設立以来、日本の放送業界を牽引してきた「日本放送協会(NHK)」。現在まで続く紅白歌合戦や国会中継、野球や大相撲中継などを放送し、国民のテレビへの関心を高めることに貢献しました。

1960年(昭和35年)からはカラーテレビの放送が開始され、人々を驚かせます。そんなカラーテレビが一般家庭に普及する大きなきっかけとなったのが、1964年(昭和39年)に開催された「東京オリンピック」。テレビ受像機が大半の家庭に広まったことを受け、NHKが受信料体系を見直して変更したのが1968年(昭和43年)4月のことでした。

かつてのラジオ受信契約は廃止され、テレビの普通(白黒)契約とカラーテレビ契約という形態となり、これを機にカラー番組が増加。この年からの連続ドラマ小説、翌年1969年(昭和44年)には大河ドラマもカラー放送に移行。そして1977年(昭和52年)には再放送や外国映画を除く白黒放送が廃止され、全面カラー放送となりました。現在では当たり前となったカラー放送ですが、このような歴史を辿り発展してきたのです。

2012年(平成24年)春(3月31日) 日本全国で完全デジタル化

1953年(昭和28年)より開始したテレビジョン放送はアナログ方式でしたが、1990年代後半から電波の有効利用を目的としてデジタル方式に置き換える計画が検討されていました。2000年(平成12年)からはBSデジタル放送、2003年(平成15年)からは東京、大阪、名古屋において地上デジタル放送が開始。

以来、2011年(平成23年)7月24日までにすべての放送をデジタル放送に移行し、これまでのアナログ放送を終了し停波するという計画が進められました。しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災を受け、甚大な被害が出た岩手県、福島県、宮城県の被災3県においてはアナログの停波日を2012年(平成24年)3月31日に延期することに決定。そしてその予定通りの日付をもってアナログ放送は完全終了し、日本全国で完全デジタル化が完了しました。

被災3県のNHK各局では、当日の11~11時54分に「東北3県さようならアナログ!もっとデジタル!」と題したアナログ放送終了記念特番を放送。その後放送された気象情報をもって、日本のアナログテレビ放送は終了を迎えたのです。


テレビ業界にとって、春は慌ただしい季節です。今まで放送していた番組が3月頃に終わり、新番組が始まるまでの期間には、2時間程の特別番組(特番)がよく放送されているのを目にします。これは「番組改編期」と呼ばれる時期で、高視聴率を獲得するために、各局があらゆる工夫をして臨んでいます。

テレビの仕事

テレビの仕事

普段何気なく目にしているテレビ番組ですが、ひとつの番組を作るのにもたくさんの人々が携わっており、毎日いくつもの番組が放送されていることを考えると、非常に多くの人がテレビ制作にかかわっていることが分かります。毎年春には多くの新人が入社するので、テレビ業界は一層活気づいていることでしょう。

番組を作っている人は、テレビ局の局員と、制作会社の社員に大きく分けられます。テレビ局の局員は大変人気がある職業で、入社試験の倍率も高いことで有名です。人気の理由はやりがいの大きさに加え、会社の安定感、良い労働条件、高収入などが挙げられます。

一方、制作会社に入社すると、実際に番組のロケに出向いたり編集にかかわったりする機会が非常に多いため、現場で映像を作る機会により多く恵まれることでしょう。現在はテレビ局員だけで番組制作をするということはほとんどなく、プロデューサー以外は外注の制作会社社員であることもしばしば。番組制作を支える、縁の下の力持ちだと言えるでしょう。

番組を制作する人々

番組を作るために、様々な職域の人々がそれぞれ役割を担っています。

  • プロデューサー…制作全般の運営・管理を担当。企画立案、企画売り込み営業等、出演者のキャスティングなどに加え、スケジュールや予算、作品のクオリティー管理も行ないます。
  • アシスタントプロデューサー…プロデューサーの補佐。現場でのお金管理やロケ地の交渉、キャストのフォローなどを担当。
  • ディレクター…撮影現場での演出を担当。カメラマン、照明、音声、美術などすべての技術スタッフたちと連携し、番組を監督する役割です。
  • アシスタントディレクター…ディレクターの補佐。撮影の進行をスムーズに行なうための庶務全般を担当します。

スタジオ観覧に参加するには

もしテレビ局の仕事に興味があるならば、実際に番組の制作現場に行ってみるのが良いでしょう。毎日、テレビ局やスタジオでは様々な番組の収録が行なわれています。

どのような業種の人がどんな役割を果たしているか、自分の目で見ると、また違った観点からテレビ番組を楽しめるようになるでしょう。

「スタジオ観覧」と言うと、バラエティ番組や歌番組を想像するかもしれませんが、中にはお昼のニュース番組の観覧などもあります。お昼のニュース番組は生放送なので、きっちり放送時間で終了しますが、録画をしてから編集して放送するバラエティ番組の収録は長時間に及ぶこともあるため、時間に充分余裕があるときに行くのがおすすめです。

観覧を募集している番組は、各テレビ局のホームページで確認しましょう。大抵の場合、番組ホームページ上で観覧を申込み、抽選の結果を待ちます。当選した際には集合時間を厳守し、しっかりとマナーを守って観覧しましょう。

エキストラ出演をしよう

スタジオ撮影ではない番組の制作現場を見るには、エキストラ出演をするのが良いでしょう。「エキストラ」とは、CMやドラマ、映画などで、店の客、通行人などといった役割を演じる仕事であり、謝礼が貰える場合もあれば、ボランティアの場合もあります。テレビ局主催の番組で出演者が多数の場合は、ボランティアであることが多いようです。この場合、交通費も支給されないので注意しましょう。エキストラ派遣会社やプロダクションを通した仕事だと、謝礼が出る場合も多くあります。

エキストラ出演の機会を探すには、インターネットで検索するといくつか見つかる「エキストラの募集専門サイト」を利用すると便利です。ただし、ほとんどのサイトでは、利用前に簡単なプロフィールやメールアドレスなどを登録しなくてはいけません。また、登録する際に数千円の初期費用がかかるサイトもあるので、仕組みをよく理解してから登録することが大切です。

エキストラの仕事は、待ち時間や拘束時間が長いことやノーギャラに近いことが難点ですが、テレビや演技の仕事に興味がある人はぜひ参加してみて、映像が生まれる現場に立ち会いましょう。


春は番組改編期に当たり、テレビの新番組がスタートする季節となります。新番組が始まると、テレビ関係者にとって最も気になるのが、番組の視聴率です。番組の人気だけでなく、営業的にも視聴率は大きな指標となります。日本の放送事業も春にスタートしており、NHKのあとを追って民放各局が開設されたのも春でした。これを記念して「民放の日」が定められています。

テレビの視聴率

テレビの視聴率

テレビ局は4月に番組の改編期を迎えます。新番組やリニューアルした番組が、視聴者に広く受け入れられているかを表す指標として視聴率があります。番組関係者やスポンサーはこの視聴率の数字が最も気になるところです。

視聴率は、ある番組を、テレビを保有している世帯でどれだけ見ているか(視聴しているか)をパーセンテージで表されます。視聴率が高いと多くの世帯にその番組が見られていることを示します。かつては50%を超える高視聴率番組もありましたが、近年では、衛星放送やケーブルテレビなどチャンネル数が増加したり、録画機器で録画してから見たりする人も多くなったため、どの番組もリアルタイムでの視聴率は軒並み下降気味になっており、19~22時のゴールデンタイムでは15%がヒット番組の目安とされています。

視聴率は、調査会社が全国で任意に選んだモニター世帯に専用装置を設置して、そこから得られるデータをもとにして算出されます。視聴率はテレビを見ていたかどうかにかかわらず測定され、テレビをつけていてモニター世帯がどの番組を見ているかを測定する場合は「番組視聴占拠率」として計算されます。視聴率は分刻みで測定され、番組の中でどの部分が一番見られていたかも細かくはじき出されるようになっています。また、全国地区別に調査が行なわれているため、関東や関西など地区ごとに視聴率の違いを見ることもできます。

今のところ測定対象となるのは地上波でリアルタイムに視聴した番組に限られており、衛星放送やケーブルテレビなどは公表されていませんが、好きな番組を録画して見る新しいスタイルが増加したため、視聴率は別に録画率や録画視聴率も公表されるようになりました。

テレビ局にとっては、視聴率によって視聴者の関心の高さや出演タレントの人気などがうかがえるため、今後の番組制作に役立てるデータとなります。もう一方で、テレビの媒体効果や広告効果をスポンサーに示して広告料に反映させる、営業戦略としても活用されます。

民放の日(4月21日)

民放の日(4月21日)

公共放送のNHKに対して、民間放送が始まったのは1951年。ラジオ局16社に対して、4月21日に予備免許が与えられ、同年に6社の放送局が開局しました。1953年には民放初のテレビ放送が始まりました。1967年には、当時の郵政省が民放の全国複数化を促進するために、UHFによる放送を認可し、全国に民放テレビ局が次々と開局しました。

民放は、企業広告によって事業を行なっているため、放送内にCMが入ることが公共放送と大きな違いです。最初のCMは時計メーカーによる時報案内でした。そのため、1959年に民間放送連盟(民放連)は、最初にこの日を「放送広告の日」として制定しました。1975年には企業などの媒体広告費が新聞を抜いてテレビが首位になるなど、マスメディアとして大きな広告効果を発揮しました。しかし、時代が移り変わり、CMを主収入にしないテレビ・ラジオ局が登場してきたため、民放の媒体力をスポンサーに限らず、視聴者にアピールするために、1993年に「民放の日」へと改称しました。

この日の前後2週間、ラジオやテレビではPR期間として、特別に制作するCMや特別番組を放送したりしています。